タイトルだけ知っていて、ずっと観たいと思っていた「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。
最近ようやくNetflixに加入し、テレビシリーズを視聴しました。
ストーリーも素晴らしいですが、ヴァイオレットほど「ビジュアルが完璧」な主人公もそうそういないと私は思います。
画像引用元:『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』アニメ公式サイト(http://tv.violet-evergarden.jp)
顔、髪型、服、出で立ち、何をとっても素晴らしい。
あとネーミングですね。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」って聞いただけでなんか感動できそうな雰囲気ありますよね。(私だけですか?)
その後「外伝」も視聴し、劇場版について調べてみると、立川のシネマシティで上映しているというではないですか!
そこで、鑑賞してきました。劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
ここでは自由に感想だけ書こうと思います。
ネタバレを見たくない方はこれ以降は読まないでください。
感想
まず、ネタバレをまったく見ずに行ったものですから、ギルベルト少佐が生きていることに少々驚きました。
そして遠路はるばるヴァイオレットが会いに来てくれたのに、「会えない」って……
戦争を経て、ヴァイオレットの存在がトラウマになってしまうのはわからなくはないです。
しかし、ヴァイオレットが一生懸命過去を受け止め、乗り越えて頑張っているのに、会えないなんて…それはないだろう!
ギルベルトの母親の墓に毎月花を備え、ずっと再会を切望していたギルベルトのところまで来たけれど、相手の「会いたくない」という気持ちを尊重して会わずに帰ろうとするヴァイオレット。
それに対し、「心から愛してる」と言った相手が来てくれたのに「会ったら過去のこと思い出しちゃうからヤダ!」と、拒絶するギルベルト。
一体どっちが大人なのか。
オマエの「愛してる」は薄っぺらいな…
と思いながら、ギルベルトに対してかなりイライラしながら見ていました。
そのため、
ホッジンズ社長の「大馬鹿野郎ーーーーッ」
および
ギルベルトの兄・ディートフリートの「麻袋に入れてヴァイオレットの前に放り出してやりたいくらいだ」
↑(セリフの細かい部分は間違えているかもしれません。すみません。)
という言葉に完全同意でした。
それから、終盤にヴァイオレットが海に飛び込んだ時は「と、飛び込んじゃうの!?」とびっくりしてしまったのですが、ヴァイオレットならやりかねんな…と思い、違和感はありませんでした。
テレビシリーズを見終えたときは、ギルベルトのヴァイオレットへの「愛してる」は親から子への愛かと思ってたんですが(結構おっさん風に書かれていた気がするし)、劇場版では普通に恋愛でしたね。
というか、親の子供に対する愛でもあるし、ひとりの女性としても愛している。両方あるのだと思います。
なので島の女性から「ヴァイオレットが海の讃歌を書き、人気ドールとして知られている」と聞いた時は、
「立派に生きてくれていてうれしい」(親心)
「自分がいなくても立派に生きていてさみしい」(恋心)
というどちらの気持ちもあったのではないでしょうか。
と、ここまでヴァイオレットとギルベルトのことを書きましたが、私が一番感動したのはユリスとその親友・リュカの電話のシーンでした。
テレビシリーズと劇場版
テレビシリーズと劇場版を比べたとき、テレビシリーズはアニメ好きだけでなく全ての友人にお勧めできますが、劇場版は勧めません。
おそらく、再度鑑賞することも無いと思います。
私はヴァイオレットが人として大きく成長していく様子を見るのが好きなのであって、「恋するヴァイオレット」を見たいわけではない、と劇場版を観て思いました。
基本的にフィクションにはハッピーエンドを求めるので、劇場版でヴァイオレットの願いが叶い、幸せになってくれたことは本当に嬉しいです。
が、この『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品は、もしテレビシリーズおよび外伝で終わっていれば、後にも先にも現れないレベルのとてつもない名作になり得たのではないかとも思います。
劇場版も良かったのですが、ちょっと陳腐な恋愛ストーリーに落ちてしまったという風に感じました。
ギルベルト少佐について
劇場版レビューの中で、「原作に比べて、劇場版ではギルベルトが劣化させられている」という意見がありました。
私は原作小説を読んでいないことが幸いしてか、そこまでギルベルトに「がっかり感」は無かったです。
テレビシリーズではあまりギルベルトの内面が深く描かれておらず、人柄についてはよくわからなかったので、劇場版では「ああ、思ったよりヘタレ精神的に弱い人なんだな」と思った程度です。
幼いヴァイオレットの言葉を教えて育てたギルベルトでしたが、実はヴァイオレットの方が精神的に(戦闘力も、かもしれんが・・・)遥かに強かったわけです。
しっかりしているように見えて、未熟だったのかなとも思いました。
まず、ヴァイオレットに対しての態度について。
兄のディートフリート・・・ヴァイオレットのことを「道具」と言って蔑み、辛辣で乱暴な態度を取る。
→ひどいけど、一貫性はある。
ホッジンズ・・・ヴァイオレットのことを娘のように常に心配。
(予想ですが、もしヴァイオレットのことを預かったのがホッジンズだったら、なんとかうまいことしてヴァイオレットを戦場に駆り出さないように尽力したと思います。)
→これが普通の大人。わかる。
そして、ギルベルトはと言うと・・・
・ヴァイオレットのことを大事に思っている。
・戦争の最前線で戦わせる。
→!?
すでに、ここでギルベルトの行動は歪んでいます。
そりゃあ戦争中で上からの命令であり、ヴァイオレット自身も戦いの道具としてしか自分の存在意義を見出すことができず、どうにもならなかったのかもしれません。
が、ヴァイオレットのことを愛おしく思うのなら、普通は戦わせ続けることはないでしょう。でも、依存させたいのか何だかよくわからないのですが、戦場で常に側に置いていました。
この歪みについて、ディートフリートもホッジンズももちろん気づいていました。
ギルベルトも自覚があって、だから苦しみ、劇場版では「会えない」とか言ってヴァイオレットを拒絶するのですが、
ディートフリートとホッジンズ的には「いまさら何を」って話であり、
「おまえが歪んでるのなんかとっくに知ってるから、はよヴァイオレットのとこ行かんかい」
と呆れているからこそ出てきた「大馬鹿野郎ーーっ!」「麻袋に入れて・・・」のセリフなんだと思います。
まとめ
総括すると、『劇場版・ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の感想はちょっと残念になってしまったかもしれません。
しかしテレビシリーズは自信を持っておすすめできますし、劇場版の方もストーリーはともかく映像美は圧巻です。
またこのようなクオリティのアニメに出会いたいものです。